2015年3月27日(金)
Jesus said
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
ディボーション聖句
マルコの福音書12:38~44
38イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが大好きで、
39また会堂の上席や、宴会の上座が大好きです。
40また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」
41それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。
42そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。
43すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。
44みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」
[聖句メッセージ]
本日でマルコの福音書12章は終わりです。
38節,当時のユダヤ社会は、国教が旧約聖書信仰のユダヤ教であり、法律も旧約聖書の律法が中心であったため、律法学者は宗教と法律の両方の専門家であり、律法学者たちは高給取りで、非常に大きな影響力を持っていました。
・マタイの福音書23:26~33
主イエスは言われた。
『わざわいだ。偽善の律法学者。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。わざわいだ。
偽善の律法学者。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。
わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。
おまえたちは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、「私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう」と言います。
こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。』
38~40節 (38イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが大好きで、39また会堂の上席や、宴会の上座が大好きです。40また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」)
このようにBible&Jesusは....富と権力に溺れてしまった律法学者の偽善者たちは、人々の面前で、自らを少しでもよく見せようと着飾ったり、善人ぶったり、 先生呼ばわりされることを喜び、いつも上席や上座を好むようになっており、その内面は偽善と不法に満ちていたと、教え説きます。
Bibleは、自分をよく魅せようと、背伸びし過ぎたり、偽らないことが 大切だと、教え説くのです。
・ヤコブの手紙2:20
『ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰が虚しく、意味がないことを知りたいと思いますか。』
・ヤコブの手紙2:26
『たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、みことばの行いのない信仰は、死んでいるのです。』
・第一サムエル記16:7
『主は仰せられた。「彼の容貌と見せかけや、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。なぜなら、わたしは人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」』
38~40節,また聖書は、いくら立派な言動や敬虔な信仰を持っている人がいたとしても、真理と愛が伴う生活習慣や生き様が備わっていなければ、そういう人の聖霊力は死んでおり、虚しい人生を築くことになると、忠告しています。
あなたの神様は、あなたの心の深みと影の姿を見て、聖霊力と報いを振り分けられるお方、見せかけばかりのご利益宗教だけは 避けるべきです。
・マタイの福音書23:23
主イエスは言われた。
『わざわいだ。偽善の律法学者。おまえたちは、はっか、いのんど、クミンなど、収入の十分の一を納めているが、聖書の律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実を、おろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、十分の一もおろそかにしてはいけません。』
・第一コリントの手紙13:1
『私たちに愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。』
マタイの福音書6:20
主イエスは言われた。
『自分の宝は、天にもたくわえなさい。』
41~44節 (41それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。42そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。43すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。44みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」)
このようにBibleは...敬虔な信徒たちは、毎月、収入の10分の一を献金していたと教え説きます。この献金を元手に、主なる神の働きや隣人愛の労をしていたのです。
しかし主イエスは、偽善に満ちた律法学者たちが、毎月の収入の10分の一以上の多額を献金していることを自慢している姿を見ると、高齢者の貧しい未亡人が、その日の食費の全額 約100円を献金している姿を見て、こう語ったのです。
43~44節,主イエスは言いました。
「この貧しい未亡人の女性が、今日一番の献金者であり、誰よりも多く、天に宝を積みました。なぜなら 彼女は、貧しい中から今日の生活費のあるだけを 全て捧げたからです。父なる神様は心を見られるのです。」
・マラキ書3:10
『――万軍の主は仰せられる――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を あなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』
43~44節,このように父なる神様は、真心から献金、募金、奉仕などして、天に宝を積む人には、素晴らしい報いを与えられるのです。
あなたに与えられる、神様からの最高な報いに期待します。AMEN
(祈り)
主なる神様、皆の霊の目を開かせて、見せかけと口先だけの虚しい偽善的なご利益宗教者にせず、JesusLoveとみことばの生き様の伴った、純粋で本物のJesus信仰者にして下さい。
そうすれば皆に、神の奇跡と百倍の報いが現れ出すからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!