Jesus said,
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
2017年11月16日(木)
ディボーション聖句
第一コリントの手紙4:17~21 17 私はあなたがたのところへテモテを送りました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。 18 私があなたがたのところへ行くことはあるまいと、思い上がっている人たちがいます。 19 しかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのところへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。 20 神の国は人の身勝手なことばにはなく、力にあるのです。 21 あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。
[聖句メッセージ]
本日で第一コリントの手紙4章は終わりです。
では、聖句をあげてから説明します。
・使徒の働き1:8~9
『「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは神の力を受けます。そして、地の果てにまで、わたしイエスの証人となります。」こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。』
17節 (17 私はあなたがたのところへテモテを送りました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。)
この神の御子Jesusの預言通り聖書は、中途半端な形式的な信仰を捨てて、使徒パウロたちのように、本気でBible&Jesusのみことばに人生を賭けようと尽力し続けるのなら、いつの日か、神の聖霊力に満ち溢れていくと約束しました。Jesusは、人は皆、聖霊に満たされると、それだけで周囲の人々の大半を洗礼に導いて、永遠のいのちをプレゼントできると、預言したのです。
このように聖書は、使徒パウロたちのように、本気でみことばに人生を賭けて託すようになれると、「神の子(クリスチャン)」たちは神の御子Jesusのような聖霊力と奇跡力に満ち溢れ出し、そういうクリスチャンたちは、聖書のみことばを読むたびに、いくつかの具体的な神の御声とインスピレーションも受け取れるようになり、全てのみことばを行うための勇気と神の特別な援護が増し加わると預言します。また聖書は、あなたの内なる聖霊は、本気でみことばに人生を賭けて託せるクリスチャンの敵や悪運は、すべて取り除いてくださると約束したのです。すべてはあなたの決断と信仰生活次第なのです。しっかり胸に書き記してください。
あなたは聖書のみことばとその使命に人生を賭けようと尽力していますか?
それとも、聖書のみことばの真理や使命以外のことに時間や重きを取られ過ぎて、神の特別な援軍、聖霊力、救霊力、奇跡力を手放していませんか?
なぜなら聖書は、神のみことばに心尽くせず、中途半端に向き合う人は皆、神の特別な聖霊力と救霊力や奇跡力を引き出しにくいと忠告するからです。また聖書は、あなたの内なる聖霊(神の御霊)は形式的で中途半端なクリスチャンたちを喜ばす、そういう人たちを吐き出すと忠告するのです。中途半端で形式的な信仰では、不可能を可能にする聖霊力や神の愛による救霊力も死んでいくのです。肝に命じましょう。
また聖書は、使徒パウロたちのように聖霊に満たされ出すと、人は皆、日々のみことばの預言や約束を解き明かせる聖霊力や、周囲を洗礼に導ける神の力がはっきり現れると預言します。これが聖霊に満たされた人の神のしるしであり特徴です。
あなたは聖霊に満たされていると言えますか?
もし、あなたが聖霊に満たされていないと感じるのなら、形式的なクリスチャンライフを悔い改め、聖霊の満たしを祈り求めつつ、日々のBible&メッセージを表現し続ける姿勢が重要です。人間のテクニックや小手先だけの信仰では感動的な奇跡を生み出せる神の力と救霊する神の愛力は引き出せないのです。
またBibleは、聖霊に満たされる体験とは、人生で最高の快楽であり、人生で最上級の生きる喜びだと教え説きます。聖書は神の御子Jesusのみことばを真心から信頼して、神の愛に基づく救霊の使命に人生を賭ける人たちの聖霊力は増し加わり、不思議にすべての必要も満たされ続けると教え説くのです。社会常識や関わる組織に支配され過ぎず、また自身の欲望と快楽ごとばかりに気持ちや時間を取られ過ぎず、神の国とみことばの使命に重きと時間を割いて、聖霊力を祈り求める人に神の感動的な奇跡と祈り以上の応答は表れ続けるのです。
・ヨハネの黙示録3:15~16
主は言われる。『わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしは熱くあってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。』
17〜21節 (17 私はあなたがたのところへテモテを送りました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。18 私があなたがたのところへ行くことはあるまいと、思い上がっている人たちがいます。19 しかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのところへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。20 神の国は人の身勝手なことばにはなく、力にあるのです。21 あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。)
聖霊に満ちていた使徒パウロは、このコリント教会だけではなく、次々と主の教会を立て上げ、彼の預言はことごとく形に現れていきました。しかし、コリント教会の仲間たちはこの聖霊に満ちていた使徒パウロの留守直後から、神の奇跡を生み出せる熱い信仰心と真理に基づく生活習慣が段々と崩れていったのです。
そして使徒パウロは、見えない敵と罪悪に支配されてしまったため、中途半端で形式的な信仰に陥っていたコリント教会の仲間たちの状態を見抜き、その解決策として、同じ信仰心と情熱的な愛や使命感に満ちていた、信仰の弟テモテを送ったのでした。
・箴言27:17
『鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。』
聖書は、「神の子」とされたクリスチャンといえども、聖霊に満ちた情熱的な牧師と救霊の使命に燃えている教会力(Jesus Family)がなくては、神の揺るがぬ祝福と神の感動的な奇跡は、永続できないと忠告しています。教会内には、みことばで叱咤激励し合う情熱的なJesus Loveが必要不可欠だと、忠告するのです。神の人は、周囲に伝わるほどの力(信仰力、聖霊力、みことば力、説得力、情熱力、使命力、忍耐力、愛力)を現そうとしなければ無力に等しいからです。
あなたの教会の聖職者とJesus Familyは、人の魂を救う愛の労と使命感に燃えていますか?
それとも熱いのか、冷めているのかはっきりしない、中途半端で形式的なクリスチャンが多数いませんか?
なぜなら聖書は、あなたの関わる教会のJesus Familyが聖霊に満たされるように、そして、教会の仲間たちがJesusのような情熱的な愛と神の使命感に燃えられるように祈り合うことが、何よりも重要な祈祷課題だと教え説くからです。この祈祷課題を大切に祈り続ける人は皆、いく倍も報われるのです。
AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を限度を越えて思い上がらせず、素直に、すぐに悔い改められるようにさせ、皆と関わる教会の仲間たちを同じ信仰心とみことばで一致させ、情熱的なJesus Loveと使命感を注いでください。 そうすれば、皆と皆が関わる教会に山をも動かせる信仰力やリバイバルが表れ出すからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。 AMEN!!!