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ルカの福音書15:17~32

2019年11月22日(金) ディボーション聖句 ルカの福音書15:17~32 17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。 18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。 19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』 20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。 21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』 22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。 23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。 24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』 そして彼らは祝宴を始めた。 25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。 26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、 27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』 28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。 29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。 30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』 31 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。 32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』 [聖句メッセージ] 本日で、ルカの福音書15章は終わりです。 今日の聖句は、昨日の「放蕩息子」の有名なたとえ話の後半になります。 この時Jesusは、『ある人 (父親)』を世界人類の父なる神様とたとえており、また、ある人の息子(兄弟)の「弟 (放蕩息子)」を 自分勝手な不信仰な罪深い人としており、また「兄」の方を神のみことばに生きられている正しい義人として たとえて、「放蕩息子」のたとえ話を 語られました。  あなたの現状は自分勝手な不信仰な罪深い人生ゆえに、結局、全てを失った弟のようですか? または、父なる神のみことばを大切に生きられているゆえに、酷い試練や艱難から逃れられている兄のような賢い人生ですか? なぜなら聖書は、人生は皆、大きく分けると、この2タイプだと預言するからです。 まず、昨日のたとえ話から... ある裕福な人に、二人の息子がいました。弟の方は、不信仰で快楽思考の気質があり、彼は両親が健在なうちに、財産の分け前を請求した愚かな人。そして父は、そのふざけた要求通り、愛する息子(弟)に財産の恵みを分け与えたのでした。 すると その息子(弟)は、すぐにユダヤ国の都会へと旅立ち、そこで毎晩のように快楽に明け暮れて、湯水のようにお金を使い果たしてしまったのです。そして、ちょうど弟(放蕩息子)が 全ての恵みを使い果たして破産した頃、その国に大飢饉が起きてしまい、その弟(放蕩息子)は、当時のユダヤ人たちが一番汚れているとしていた、豚の世話の仕事をして生計を立てるしか、方法がなくなってしまったのです。聖書で弟は神の恵みを勘違いして、身勝手な快楽を追求して、破滅した愚かな不信仰な罪人の人生だと教え説きます。弟の方はすべての恵みを無駄遣いして、豚の餌さえも食べたいと思う程飢え苦しむ不幸な人生に 落ち込んでしまったのです。 17節, 尚、聖書は、弟が元気で神の恵みに満ちていた時は、彼は人気者で取り巻きの仲間たちが大勢いましたが、神の恵みや財産を使い果たして人生のどん底に陥った放蕩息子になると、弟の人気や影響力は落ち込み、数多くの仲間たちは態度が変わって距離を置いて、弟を見捨てたのです。 このように聖書は、大勢の仲間がいると自慢しても、あなたが今よりも神の恵みや財力、人気が後退していけば、殆どの親友は形ばかりで離れていくと預言します。まことの親友少数と神の家族たちくらいしか、結局、あなたの周囲に残らないと預言するのです。 あなたは、自分には大勢の親友がいると勘違いしていませんか? なぜなら聖書は、本物の親友はごく少数であり、あなたの為に祈るほど愛してくれる仲間は神の家族くらいしかいないと預言するからです。現実と真理ら目を覚ましましょう。 すると全てを失った弟が我に帰った時、彼は帰るべきところは父のところだと思い出して、帰途に着くことにしたのです。 イザヤ書53:6『私たち人間はみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分勝手な道に向かって行った。しかし、主なる神様は、私たちのすべての罪、咎を彼に負わせられた。 』 17節,このようにBibleは..人間は皆、この放蕩息子のように、父なる神様から与えられた人生の全ての恵みや愛を 自分勝手に使い果たしたり、神のみことばや真理に反して生活し続ければ、自分で自分を痛めつけるように人生をさまよいながら、ただ、死と滅びに向かうしかないと教え説きます。 Bibleのみことばと真理なくしては、人は皆、「人はなぜ生まれ、何を大切にして、どのように思考して生きるべきなのか...また 人は、一体どこに行こうとしているのか。神とは愛とは、幸せとは、どういうものなのか。そして人は皆、死後、どうなるのかでさえ、分からずに生きるしかないと、教え説いているのです。 あなたは、人生の意味・使命や愛の尊さと神の存在。また、人生や死後の行き先を しっかりと 掴めていますか? これらの真理を掴もうとしなくては、結局、人生は さまようばかりなのです。聖書は、全人生と死についての取扱い説明書なのです。 ヨハネの福音書14:6『イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父なる神様のみもとに来ることはありません。」』 伝道者の書12:13~14『結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神のみことばを守れ。これが人間にとってすべてである。いつの日か神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべての人生のわざを裁かれるからだ。』 18~24節,そしてBibleは...人は皆、この放蕩息子のように、自らの人生での孤独、身勝手さ、罪悪、咎、過ちや足りなさを認めて悔い改めるならば、神の救い主Jesusの十字架上の死は、あなたを贖罪する恵みとなって永遠に報われ、いつの日か、死んでも、父なる神様のみもとに行けて、永遠に救われると 約束してくれます。 自らの不完全さ、足りなさ、弱さを認めて、素直な幼児のようにJesusの十字架とそのみことばにすがれる人に、神の国の永遠なる祝宴や偉大な恩恵が 与えられると約束するのです。しっなり胸に書き記して下さい。 26~30節,しかし、それを見ていた親孝行で神愛に満ちていた正しい兄は、自分の不義ゆえに全てを失って帰郷した弟が温かい愛ともてなしを受けているのを見て喜べずに妬んでしまいました。そして兄は父に不満をぶつけて、弟を容易には受け入れられなかったのでした。 真面目で信仰と愛に満ちていた兄には、だらしない身勝手な不義の弟が 味わってきた 人生での必要以上な苦しみ、痛み、悲しみが理解できなかったのです。あなたは身勝手な不信仰な不義な人が神の恵みや救いを受ける時、受け入れてあげるどころか、自業自得、神の恵みや救いを受ける資格などないと冷たく感じることがありませんか? なぜなら聖書は、身勝手な不信仰な弟のタイプの人生が 味わってきた人生での必要以上な苦しみ、痛み、悲しみ、不安、勘違いや死への絶望感は、哀れであり、同情すべきだと教え説くからです。 無知、不信仰、不義な弟タイプを哀れみ、見捨てないであげて下さい。 ヤコブの手紙3:16『ねたみや敵対心のある人には、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な思いと行いがあるのです。しかし、神からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。』 またBibleは、兄のように神のみことばに忠実な為に神の偉大な大盾に守られている幸運な信仰者は、死んで滅びるしかなかった身勝手な弟タイプが救われるのを妬んでしまったり、憐れみの心を閉ざしてしまえば、邪悪な霊が潜むことになり、弟タイプのような破滅もあり得ると教え説きます。他人を裁かない、憐れみに満ちた精神が 神の祝福と幸運を手に入れられる秘訣なのです。しっなり胸に書き記して下さい。 ローマ信徒への手紙2:11『神にはえこひいきなどはないのです。』 26~32節,またBibleは、いつも正しい信仰深い人も、今さっきまで身勝手で極悪非道な人であったとしても、自らの罪悪や足りなさを認めて祈り悔い改められる人は皆、誰でも 神にゆるされて、同じ永遠の命と天国行きの救いを 受けられると約束しています。 大切なのは、あなたの過去がどうであったかではなく、今のあなたの心と行いやしんが どうかによるのです。AMEN (祈り) 主なる神様、皆の霊の目を開き、放蕩息子のように、身勝手な虚しい、愚かな人生を歩まないように助け導き、日々の小さな罪悪、過ちでさえも探して、祈り悔い改められる心を お与えください。 それさえできれば 皆、Jesusの十字架の愛と救いや永遠に満たされ幸福人生を手に入れられるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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